It's a rumor in St. Petersburg

アラサーOLです。主にまんがの感想を書こうと思っています。

ヴィンランド・サガ 考察2 愛について

 

 引き続き、ヴィンランド・サガの考察エントリです。目次のうち、青字が今回の対象範囲です。

 

  • 目次
  • 1. あらすじ

  • 2. そもそもヴィンランド・サガとは

  • 3. 物語の構成

    4. るろうに剣心オマージュ

    5. 「愛」とはなにか

    6. クヌートとトルフィンの事業

  • 7. 罪と贖い、怒りと赦し

 

前回の考察エントリはこちら

www.anastasia1997.tokyo

 

5.愛とは何か

 この物語の中では、「愛」というものが、キーワードとして出てきます。というか、この物語は主人公トルフィンが「愛」を知り、「愛」を実践していく物語。なので、「愛」がわかんないと根本的にお話がよくわからない。(でもバトルとか冒険とかあるのでわかんなくても楽しく読める)私はこれを理解するのにすごく時間がかかりました。

 この物語における「愛」というのは、一般的に「愛」という言葉でイメージする親子間の愛情とか恋人同士の愛情とかそういうものではないんです。もし、そういうものを愛と呼ぶのであれば、この物語はものすごく愛に満ちた世界なんです。でも、この物語においては、それは単なる「差別」であるとされています。例えば、「兄貴のことは大事から助ける」というのは「知らないやつは死んでも関係ない、助けない」ということ。忠臣が王子の救いたいと思う気持ちは、それならば村人が死んでも仕方ないと思う気持ち。それは、単に自分にとって大切ものを優先するだけの行為であり「愛」ではない。では、「愛」とはなにか?それは「等しく平等に自分を分け与えること」 だから人間の心には「愛」はないと結論付けられています。

 

 

 

 ただし、ごくわずかな人間は「愛」の意味を知っています。物語の第1部には、愛の意味を知る人間が3人登場します。(神父は除く)それは、トールズ、アシェラッド、クヌートです。

 

トールズ:暴力と決別し、敵であっても傷つけない道を選ぶ。(というか、敵は別にトールズにとって敵ではない)見ず知らずの人間でも、奴隷でも、死にかけた人間でも等しく愛し、助ける。最期まで「愛」を知るもの=「本当の戦士」として生き、暴力の前に命を落とす。

アシェラッド:ヴァイキングと暴力の世界を嫌悪し、「愛」の意味を知りながらもヴァイキングの世界から抜け出せない。しかし、「愛」を知ったクヌートに王者の素質を見出し、クヌートのために死を選ぶ。

クヌート:最初はダメダメ王子だが、「愛」の意味を知り、王者への道を歩み始める。人の心に「愛」がないことを悟り、殺しあうだけの人間の世界を変える決意をする。

 

 トルケルはトールズの言う「本当の戦士」の意味を求め続けているけど、結局たどり着けずにいます。彼はめっちゃ魅力的なキャラなんだけど、「愛」の意味は悟れなそうだよね。かけ離れすぎている。でも、そこがトルケルの魅力でもあるし、漫画的には彼にはずっと彼のままでいてほしい。

 トルフィンは第1部では愛の意味も価値も全然全然しらねーし、しったこっちゃないし、きょーみねーぜ!(普通の)戦士として生き、戦士として殺し、戦士として死ぬんだぜ!いつ死んでもぜんぜんかまわねーぜ!って感じです。

6.クヌートとトルフィンの事業

 第2部でクヌートと「愛」を知ったトルフィンは二人で1つの事業を分け合うことを誓い合います。

 

クヌートの役割:「愛」から最も遠い人間・戦士たちを束ね、地上に楽園(まともな王国)を作る。クヌートの王国では人はある程度の平和を得られるが、それによって制圧されたり侵攻される側の犠牲もでる。

トルフィンの役割:クヌートの事業によって犠牲になり虐げられる人たちが生きていける場をクヌートの手の届かない場所に作る。

 

 つまり、トルフィンの役割はクヌートが作る世界のセーフティーネットです。なんでクヌートがそんな事業をやりたがっているかというと、彼には「神」に対する怒りがあるからです。地上に楽園がなく、人が「愛」を知らないなら、人の生は殺し合い奪い合い苦しみ続けるだけのためのものになってしまいます。ラグナルの死や自分を巡って殺し合いを行うヴァイキングたちを見て心底そんな世界を嫌悪したからです。

 ちなみにクヌートが「神」・「神の定めた条理」と呼ぶものは、キリスト教的な「神」でもあるんでしょうが、どちらかといえば人間が生きる上で発生するの負の側面に対する比喩なんだと思います。自然状態で人間をほおっておくと、ある程度人数がそろえばある程度の集団ができます。そうした集団が複数あれば、戦争がおこり、強いものは弱いものを虐げる。人間というのはそういうもので、それが自然の摂理として1000年代の北欧やイングランドでは受け入れられています。そうした自然の摂理をクヌートは神の定めた条理と読んでいるんだと思います。そうした条理に逆らって、戦争や略奪をなくすためには、クヌートが誰より大きな力をもってそうした集団を制圧していく必要がある。同時に、その担い手として最も「愛」から遠い存在であるヴァイキングたちを起用し、意味なく殺しあっている彼らに生きる意味と価値を与えるというのがクヌートの事業なわけです。クヌート… 世界を壊し、世界を創る男…。

7.罪と贖い、怒りと赦し

 ヒルドさんとトルフィンって、このテーマを凝縮した二人だと思うんですよ。ヒルドさんって、そのままトルフィンの写し鏡という気がします。どちらも理不尽に自分の家族を暴力によって奪われ、その怒りを人生の根底に持って生きてきた。特に、二人とも父親がいい父親すぎるんですよね。ヒルドさんの回想シーンで、お父さんがヒルドさんを天才とほめるシーンは何度読んでも泣いてしまいます。家の中で家族みんなで仲良くごはんを食べてる暖かいシーンなんですよ。でも、今のヒルドさんは寒い雪山に一人で生きてる。この落差がトルフィンが奪ったものの大きさを感じさせます。

 

 

 

 ヒルドさんはトルフィンが生きて償いをする限り、平和な国を作る限り、トルフィンをいつか赦さなくてはなりません。トルフィンが示さなくてはいけないものは罪に対する償い、ヒルドさんが示さなくてはならないものは怒りに対する赦し。トルフィン自身もアシェラッドやフローキに父親を奪われており、フローキに対する怒りがある。トルフィンがフローキに剣を突き立てれば、その刃はそのままヒルドさんの矢となってトルフィンの胸を貫くわけです。普通の人なら赦さなくて憎んで生きていいのだと思いますが、トルフィンが最初の手段を選び続け、平和な国をつくるためには赦さなくてはならない。「愛」を実践しなくてはならない。「愛」を知ったからといって、簡単にできることではない。厳しい人生だと思います。今後のトルフィンの課題として、人の罪を赦すことができるのかということが課題なんだと思います。

8.最後に

 これから一角獣の角を売って資金を作って、それからヴィンランドにむかうわけですから、まだまだ先は長い。そろそろアフタヌーンではヨモスボルグ編が終わりそうですから、新展開が楽しみです。アニメも楽しみ。

 

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