It's a rumor in St. Petersburg

アラサーOLです。主にまんがの感想を書こうと思っています。

『 夢の雫、黄金の鳥籠』篠原千絵(著) (1-12巻) 感想

 

 

 

  先日、『トルコ至宝展』(2019年3月~2019年5月)に行ってきました。

 

turkey2019.exhn.jp

 

この展示会、篠原千絵先生がスペシャルサポーターをされています。

 

 

    友人と一緒に行ったのですが、『夢の雫、金の鳥籠』に興味をもってくれまして、その後全巻読破してくれました。語り合える友人が増えて嬉しいです。うふふ。私自身も読み返してやっぱ面白いな~と思います。なので、感想書きます。 

 

あらすじ

 物語の始まりは16世紀ウクライナ。主人公・アレクサンドラは農村に住む少女です。広い世界を見たいという願望を持っていますが、村で生まれて、その村の中で死んでいく、彼女の母や祖母がそうであったように彼女もそういう人生を送るのだろうと諦めていました。しかし、ある時、村はタタールの襲撃を受け、彼女は奴隷としてオスマン帝国後宮に入ることになります。自由を夢見た少女は後宮という非常に限られた移動範囲の中で、限られた人間関係の中を生きることを強いられます。しかし、当時全盛を誇ったオスマン帝国の王宮で、彼女は農村では想像もつかないような人や物に触れることになります。時の皇帝はオスマンの最盛期を築いたスレイマン一世。また、自身の後見はその寵臣イブラヒム。彼らを通してヒュッレムはオスマン帝国の領土の拡がりや組織のあり方などを学びます。また、帝国でも有数の師範から地理や語学、歴史といった教育を受け、イスタンブールに集うヨーロッパ各国の大使夫人たちとも繋がりをもつようになっていきます。一見不自由にみえる後宮の生活の中に、彼女は自身の世界を構築していきます。オスマン帝国での彼女の名前はヒュッレム。後にスレイマン一世の皇后となる女性の物語です。

 

 

 

 

感想

自由に生きるとはどういうことか

    これがこの物語のテーマの一つなのかなと思います。第一話でイブラヒムがめちゃくちゃ良いことをいうんですよ。

 

「うまく生まれ故郷に帰っても 村の男の嫁になって生涯その地で暮らすのだろう

お前の望む自由などどこにある?」

「どこにいようと自由とは心のありようだ」

『 夢の雫、黄金の鳥籠』1巻より

 

    身体的な自由ばかりに気を取られているヒュッレムにイブラヒムは心の自由について示します。これがきっかけで私もいわゆる「自由」ってなんなのかな真剣に考えました。イブラヒムの示すとおり、「自由」というのは身体的なものと精神的なものにわけられると思うんですよ。

    まず、身体的なところでいうと「移動の自由」と「身体自体の自由」にわけられると思います。ここでいう「移動の自由」というのは、自分が行きたいところに行ける状態です。これはヒュッレム、全然ないですね。基本的に後宮から出られない。出られても図書館や寺院、イブラヒムの家やボスフォラス(これをカウントするならですが)など基本的にイスタンブール内の狭い範囲です。もう一つの「身体自体の自由」とは自分の身体を自分の好きなように使える状態です。例えば、足に鎖をつけられて労働を強いられている人にはこの自由はありません。これについてはヒュッレム、後宮に入って得たとも言えます。スレイマン様にお仕えしている時以外は働く必要もなく、自分の身体を好きに扱えます。

 

 

 

    精神的なところは「思考の自由」ということです。ここでいう「思考の自由」というのは自分の思考をどの程度自分で行うえうかということです。そしてこの「思考の自由」においては「思考自体の広さ」と「時間的な長さ」が重要となります。「思考の広さ」については、例えば、ブラック企業に勤めてる人が自殺してしまう時、本当は辞めるという選択肢もあったかもしれない。でも、洗脳されて極度に思考の幅が狭くなっていると、本来の自分の思考だったら選ばない選択肢を選んでしまいます。洗脳以外にも無知であるがゆえに思考自体ができない・思考の幅が狭いことも思考の自由がない状態と言えると思います。これこそはヒュッレムが後宮に上がったことで掴んだ大きな自由だと言えます。オスマン帝国の一流の師範について学問を学び、スレイマン様やイブラヒムといった帝国の指導者達と交わりを持って彼女の視野もどんどん広がっていきました。もともと彼女が持っていた才能が最高の環境で花開いたと言えるでしょう。もう一つの「時間的な長さ」というのは、思考の自由を発揮出来る時間がどれだけあるかということです。例えば、仕事中、忙しくて自分の考え事なんてしてるひまがないような状態は思考の自由がないと言えます。そのような状態が1日20時間続いていたら、例え広い視野を持っていても思考の自由はないと言えます。思考の自由には「時間的な長さ」が重要でしょう。ヒュッレムも後宮に入って最初のうちは、まあまあこの時間的な自由を持てていたのではないかと思います。しかし、特に8巻以降、彼女は心配事ややらなくてはいけないこと(しかも高難易度)ができてしまい、自由に思考を行うどころではなくなってしまいました。

 

 

 

 ヒュッレムはイブラヒムに出会ったことで、世界で最高レベルの「思考の自由」を得ることができました。彼は身体的な自由ばかり気にしていたヒュッレムに精神的な自由の意味を教え、田舎の村で「自由」の意味も知らないまま死ぬはずだった少女に、奴隷として売られてボロボロにされていたかもしれない少女に広い世界を与えてくれました。そして、いつか全ての意味での「自由」を与えてくれるはずだった。しかし、それが今、イブラヒム自身によって奪われようとしているわけです。イブラヒム…全てを与え、全てを奪う男…。このお話でイブラヒムがヒュッレムの間にあるのは愛以上に「自由」なんだと思うんですよ。

 

まとめ

 イブラヒム、1巻でめっちゃいいこと言ってたのはなんだったのか。当時、新入社員だった私はこの言葉にいたく感激したのに。今後はぜひ読者に希望を与える展開になっていってほしいです。

 

 

『夢の雫、黄金の鳥籠』関連エントリ

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