It's a rumor in St. Petersburg

アラサー学生です。主にまんがの感想を書こうと思っています。

【感想のような解釈のような】『薔薇王の葬列』ヘンリーとティレルについて

※※感想のような解釈のようなものを書くのに必要な範囲でネタバレがあります※※

 

「薔薇王の葬列」完結以来、ティレルの存在をどう解釈すべきかずっと頭の中で転がしていたので、それについて思ったことをつらつら書きます。

 

作中で明言されたことはなかったけれど、ティレルがヘンリーである、ということはほぼ間違いがないように描写されていましたし、これについては暗黙の了解として読んできました。

そのため、私の第二部の注目ポイントとして、いつティレルにヘンリーだった時代の記憶が戻るのか、また、いつリチャードと再会するのか、というものがありました。

第一部のラストで悲劇的な結末を迎えた二人の再会、めちゃくちゃ見たいじゃないですか。

しかし、最後までティレルは明確にはヘンリーとしての記憶を持つことはなく、ヘンリーとしてリチャードと再会することもありませんでした。むしろ最後ティレルですらなくなってる。

 

愛しあい、憎みあった二人が再会し、誤解が解け、新たな展開が生まれるのでなければ、なぜ全く別の存在としてではなくヘンリーの続きの人生としてのティレルが物語に再登場したのだろうか。

で、年末にゴロゴロゴロゴロと自分なりに考えたところ、ヘンリーにとってティレルとしての生はヘンリーとしてやり残したこと行うための時間だったのかなあなどと思うに至りました。

 

「薔薇王の葬列」では社会と個人の関係性というのが重要なテーマの一つだと思うのですが、ヘンリーというキャラクターは宮廷というめちゃくちゃ社会性を求められる場所で王という最も重要なポジションを担うキャラクターです。

さまざまな人の思惑や欲望の対象であり、その中でうまく人との関係性を築くことができず、そこからの逃避を望んでいます。

彼の示す性的な意味でない愛情は、自分に好意を示してくれる人や自分の都合のいい相手に対する極めて個人的なものであり、時に関係性を考慮しない過剰さがみられたり公平性を欠いたりするものです。

社会から逃避を望み続け、最後はその中で発生した愛憎によって命さえ落とします。

一方、ティレルは人間どころかすべての命に公平です。動物を殺すように人間を殺し、「食べる肉」と「愛する肉」の区別すらない。これって極めて社会性を欠いた存在ともいえると思います。

 

76話でリチャードは1話とそっくりな場所に辿り着き、ヘンリーでありティレルであった男と出会います。

再会した二人は「友達」になります。

この「友達」ってすごく深みのある関係性を指していると思うのですよね。

自分を無条件に受け入れてくれる都合のいい相手としてではなく、傷つき、多くのものを失いながら長い年月を生きてきた等しい立場の人間として、お互いをお互いの友としようという提案。

これって社会性に絡め取られて死んでいったヘンリーにも社会性を一切持たないティレルにも絶対できない提案だと思うのです。

彼はヘンリーとしての人生とティレルとしての人生を経て、二人とは違う別の存在としてリチャードの前に現れたわけです。

そしてその提案を受け入れるリチャード。

二人は森を出ていきます。

これはリチャードにとってもですが、名のない男にとっても長い長い迷いの森からの帰還であり、精神世界から人と人が関係を織りなす現実社会への帰還なのだと思います。

ボスワースで名のない男は、リチャードを救う形で王として死にます。

かつて出来なかった王として戦い、王として死ぬということであり、友達という存在を持ち、利己を捨て、そのために身を捧げるということであり、それはつまり、社会から逃避し続け社会を徹底的に拒否した人間が、それでも社会で生きることと死ぬことに価値を見出し、選択したということであり、それが叶えられた時、さまよえるヘンリーの魂は天に還っていったのだと思います。

 

「薔薇王の葬列」はリチャードの人生の物語であると同時ににヘンリーの人生の物語でもあったのだなあと思います。

この二人が人生の中で時にともに歩み、憎しみ、再び交わり、また別れていく。

いろいろな経験をしながら、離れたり近づいたりしながら、お互いがお互いに影響しあうことを、またはしないことを選択する。

これって人と人が社会の中で関わっていくことそのものだなあと思います。

壮大な歴史の中で、時代が変わっても国が変わっても人の心に訴える普遍的なものがある、そういう物語であるのかなと思いました。




ところで、森って「薔薇王の葬列」において精神世界の表れなんだと思うんですよね。

だからちょっと不思議なことが起こる。

76話では、荊棘を全て失った二人の精神状態がシンクロし深層でお互いの存在を求めたのだと思います。

だからこの時に二人はまた会えたのだと思う。

逆にそれまで二人が明確な再会をすることがなかったのは、ずっとリチャードにとってヘンリーの存在が悪夢であり、過去の亡霊であり、許せないものとして拒み続けてきたからなのじゃないかと思います。

 

そして、リチャードは名のない男を通してヘンリーを見ていますが、彼がヘンリーではないことはわかっています。

ヘンリーとしての記憶は戻らず、過去の誤解が解けることはなく、過去の出来事は覆らない。

これにはヘンリーとリチャードの恋は一部のラストで破滅して終わっていたのだなあというしみじみとした感傷があります。

そして、リチャードは多くの傷を負いながらその後、十数年を生き延び、友という関係を得て、やっとあの出来事に決着をつけたのだろうと思います。

これがかつてした「あの木の下でもう一度」という約束が果たされた瞬間でもあり、こんなに長い年月と魂の漂流を経た先のものであったというところは一読者としては感慨深いです。