It's a rumor in St. Petersburg

アラサー学生です。主にまんがの感想を書こうと思っています。

【解釈】『薔薇王の葬列』17巻

※※解釈を書くのに必要な範囲でネタバレがあります。

☆今回は感想でも考察でもないなと思ったので、私はこう読みましたという意味で解釈としてみました。

 

 

本編最終巻17巻、2022年6月に発売されました!
ついに『薔薇王の葬列』が完結してしまいました。

 

 


一通り連載時に読んでいるのですが、やっぱりコミックスで読むとまた違うものです。

ていうか、頭の中がセシリー!セシリー!セシリー!!ですよ!!!
アニメ薔薇王2期エンディングの『螺旋』を聴きながらこの文章を書いているのですが、なにこれ、セシリーを想うリチャードの曲…!? 
アニメの22話を観たときはバッキンガムの曲かなって思ってたのに… 

 

 

 

 

 


「どうかお祈りください… リッチモンドの勝利と… 私の死を
それが貴女の慰めとなるのならーーーー」

 

 

リチャードには自分を苦しめ続ける母・セシリーを恨む気持ちはずっとあったと思います。
セシリーと関わるとき、子供の頃は遠慮がちに遠くから眺め、大きくなってからは見せつけるように露悪的にふるまっていました。
でも、直接セシリーを直接責めたり、恨み言を言ったことはなかったと思います。
それはきっとできなかったんだと思います。
計略をめぐらせて、悪事に手を染めて、外ではやりたいようにやっていても、摂政になっても国王になっても、彼は自分の母には恨み言一つ言えなかった。

なんかそういう彼の気持ちを想像するだけで泣けてしまいます。

自分が憎まれているとわかっていても、それでもいつか少しでも笑いかけてもらえるのではないかとか、愛してもらえるのではないかという望みがずっと心の底にはあったんだろうと思います。

 

セシリーもずっと辛かったと思います。
ずっとリチャードを虐待してきた人です。
でも、加害者である側面と被害者である側面がある人でした。
暴行されたことを自分の罪として責め続け、(実際にはわからないけど)その結果として子供を産み、生まれてきた子供は罪の証を持っていて、そして自分によく似ている。
リチャードの存在が彼女の罪を彼女に突きつけ続け、リチャードと関わることによって自分の夫も子供たちも死んでいく。
思い込みによる部分も多分にあったでしょうが、現代とは違う価値観の中で、全てを自分の罪として一人で抱えて生きてこなければならなかったことはあまりに辛かったと思います。
リチャードの存在を罰として拒み続けることでしか、自分を保てなかったのだと思います。

 

リチャードはきっとずっとどうしたらセシリーに愛してもらえるか考え続けてきたのだと思います。
その心は、大人になってセシリーと距離ができてからも変わっていなかったことでしょう。
冒頭の言葉は苦しみ続けてきた母へのリチャードの赦しの言葉。
そして、自分の存在自体が母を苦しめ続けてきたことを知った彼の最大限の母の幸せを願う言葉。
ずっと母の愛を乞うてきた人が、母のためにできる唯一のこととしてこの言葉を告げるというのはあまりにあまりで…


最後、セシリーはリチャードの背中に手を伸ばしますが、その手はリチャードに届きません。
まもなく、リチャードの死の報を受け取ることでしょう。
例えリチャードが赦したとしても、彼女自身が自分を赦すことができるものなのかと思います。
彼女のこれからの人生はリチャードを拒絶し続け、自分が死に追いやったと自らを責め続ける人生なのじゃないでしょうか。

 

「生き残った者は、死んだ者のことを考えつづける。ぼくや君はそうやって生きて行かなくてはいけない」

 

少し前に観た映画のセリフが思い浮かびました。

73話はあまりにも悲しい親子の永遠の別れの物語だったと思います。

 

 

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